吉田修平とPlayStation®の31年にわたる歩み

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吉田修平とPlayStation®の31年にわたる歩み

過去14年間のPlayStation Podcastをお聞きの方なら、吉田修平をよくご存じでしょう。PlayStation®3およびPlayStation®4時代にPlayStation Studiosのプレジデントを務めたことで広く知られる吉田修平は、ここ数年、インディーズイニシアチブ代表としてインディーゲーム開発者の支援に力を注いできました。

来週、PlayStation®が30周年を迎えるにあたり、吉田修平のキャリア、今後の計画、そしてPlayStation の30年間を振り返ってのお気に入りのゲームについて話しを聞く機会を得ました。ここからは、長時間にわたる対談の抜粋をお届けします。

シド: 吉田さんはおそらく14年前、最初期のPlayStation Podcastのゲストのおひとりでしたよね。しかしそれ以来、しばらく時間が経っています。最近はいかがお過ごしですか?

吉田: ずっと旅をしていました! ブラジル、インド、オーストラリア、スウェーデンなど、いろいろな場所を訪れていました。開発者を訪ねたり、ゲームイベントを訪れたり、開発者の新しいゲームを見たりして、気に入ったゲームについて1年を通してツイートしていましたね。

シド: またお話しできてうれしいです。これまでの話しをじっくり聞かせてください。本日は、何か特別なお知らせがあると聞きましたが?

吉田: そうですね、発表があります。私は2025年1月15日(水)をもってソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE)を退職します。なにか新しいゲームの発売日を発表するみたいな感じですね。長らくそういうことは、やっていませんでしたが(笑)。

シド:SIEには、長年在籍されていましたよね。その決断とタイミングの背景についてお聞きしてもよろしいでしょうか?

吉田:私はPlayStationの初期から関わってきましたが、これが31年目になります。30年を迎えたときに、そろそろ次のステップに進む時期かもしれないと考え始めました。会社の調子はとても良いですし、PlayStation®5やこのプラットフォームで発売されるゲームが大好きです。また、尊敬し、信頼できる新しい世代の経営陣も育っています。PlayStationの未来がとても楽しみです。

ですから、PlayStationは非常に良い手に委ねられていると感じています。そして、これが私にとって良いタイミングだと思いました。

シド:なるほど、そうだったのですね。それでは、吉田さんのキャリアを振り返ってみましょう。かなり長い間PlayStationに在籍されていることは知っていますが、具体的にはどれくらいの期間でしょうか?

吉田:1993年2月に久夛良木健さんのチームに加わりました。当時はまだ初代PlayStation®の開発中でしたね。久夛良木さんのチームはエンジニアだけで構成されていて、私は初めて技術系ではない人間としてそのチームに加わりました。当時のソニー株式会社が初代PlayStationを市場に投入する計画を立て始めたタイミングでしたから、もう31年前のことになります。

シド:久夛良木健さんは、“プレイステーションの父”と呼ばれることが多いですよね。当時、初代PlayStationが発売される前の会社の様子について教えてください。

吉田: そうですね、私が(PlayStationに)参加した当時は、まだひとつの部署に過ぎませんでした。久夛良木さんのチームがハードウェア開発を進めていて、ソニー・ミュージックエンタテインメントに、スーパーファミコン向けのゲームを作っているチームがもうひとつありました。そこもPlayStationのゲームを作る準備をしている小さなチームでした。このふたつのチーム、つまりソニーの久夛良木さんのチームとソニー・ミュージックエンタテインメントの佐藤さんのチームが統合され、1993年11月にソニー・コンピュータエンタテインメントが設立されました。

合弁会社として設立されたとき、ホテルでパーティーを開いたのを覚えています。そのときは、全員がひとつの部屋に収まっていましたね(笑)。だいたい総勢80人くらいでしょうか。本当に小さな規模でしたね。

シド: とても小さいけれど、ワクワク感は大きかったのでは?

吉田: そうですね。久夛良木さんのチームがもたらした革新、例えば3Dグラフィックスやリアルタイムテクノロジー、製造コストが低くて大容量のデータを入れられるCD-ROMにはとても興奮していました。私たちは本当に大きな期待と高い志を抱いていました。

しかし、当時のゲーム業界では私たちのことがあまり知られていませんでした。また、大手のエレクトロニクス企業もゲーム業界に参入しようとして上手くいかなかったケースがありました。ですから、PlayStationが発売される前の段階では、正直なところ、業界からあまり真剣に見られていなかったと思います。

シド: いま考えると面白いものですね。そして31年が経ち、状況は一変していますね。吉田さんがPlayStationで初めて担当されたお仕事について教えてください。

吉田: 久夛良木さんのチームに加わったとき、私の仕事は日本国内のパブリッシャーや開発者と話しをすることでした。アカウントマネジメントのリードとして、日本各地、北海道から九州までの多くの企業に電話をかけ、アポイントを取りました。そして、久夛良木さんを含む役員たちのグループを連れて、そのパブリッシャーを訪問し、PlayStationについて話しをして、ゲームを作ってもらえるようお願いしていました。

とても楽しい時間でしたが、同時に非常にチャレンジングな時期でもありました。当時は、業界で3Dグラフィックス技術を信じている人があまりいなかったからです。

シド: 最終的にはPlayStation Studiosのプレジデントにまで昇進されましたよね。PlayStation Studiosでの経験のなかで、特に印象に残っている思い出はありますか?

吉田:幸いなことに、ゲーム開発に携わっていた期間を通じて、素晴らしいゲームや素晴らしいチームとたくさん関わることができました。私たちのゲームが何度もGame of the Yearにノミネートされたので、毎年、DICEサミットのようなイベントに行くのが本当に楽しかったです。業界にいると、もしGame of the Yearに関わるようなゲームを一度でも手掛けられたら、とても幸運なことです。でも私はほぼ毎年関わることができました……。

そのなかでも特に印象に残っているのは、『風ノ旅ビト』がGame of the Yearを受賞したときのことです。『風ノ旅ビト』はPlayStation™Networkを通じて配信された、ダウンロード専用の小さなゲームでした。プレイ時間は3時間程度で終わるような作品です。

しかしそのゲームが、おそらく業界で初めて、数々のAAAタイトルを抑えてのGame of the Year受賞作となりました。クリエイターのジェノヴァ・チェンさんがサミットで講演を行ない、ある女の子から受け取った手紙の話しをなさっていました。亡くなったお父さんのことを思い出しながら『風ノ旅ビト』をプレイし、その後の人生を前向きに進むことができたという手紙をもらったお話しでした。

そのとき観客全員が立ち上がり、会場全体が幸福感と、この小さなゲームが人々の人生にこれほどまでに大きな影響を与えられるという感動的な思いに包まれました。

シド: 現在のSIEでのインディーズイニシアチブ代表の役職に就くまでの経緯について教えてください。

吉田: 私はインディーゲームが大好きなんです。2000年代にインディーゲームブームが始まり、デジタル配信がPCやモバイル、コンソールでスタートしました。小規模なデジタルゲームは、世界中のほぼ誰でも開発し、グローバルに販売・配信することが可能になりました。これが業界に新しいアイデアを試す素晴らしい機会を生み出したのです。

小規模なゲームは、規模が小さい分、大きな資本を必要としません。ですから、これまでに試されたことのないアイデアにも挑戦できるんです。そして、それが業界全体にとって全く新しいチャンネルを生み出しました。私にとって、それはまるで宝探しのようなものでした。PlayStation Studiosのマネジメントをしていたときは、大規模なスタジオと協力してAAAゲームを作るのは素晴らしい経験でした。

しかし、E3やGamescomのようなイベントに行くと、いつもインディーゲームエリアを訪れていました。そこで気に入ったゲームを見つけると、多くの場合、開発者がその場で作品を紹介していました。私は開発者と一緒に写真を撮り、それを使ってゲームの宣伝を手伝おうとしたりしていました。

それはPlayStation Studiosをマネジメントしていた時期には、ほとんど趣味のようにやっていたことでした。しかし、インディーを支援することに100%の時間を費やせるようなこの役職に就けたとき、それはまさに天職だと思いましたね。

吉田修平は、Capybara Gamesの『スーパータイムフォース ULTRA』でプレイアブルキャラクターとして登場しています。

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